2024.08.15
8月14日(水)の朝6時半から3年ぶりに行山流水戸辺鹿子躍りの中の演舞のなかの”墓踊り”が行われました。慈眼寺の和尚さんによりお経をあげていただき、墓踊りを披露し、ご先祖様たちの供養をしました。墓踊りは供養の意味をより一層込め踊るため、いつもの躍動感のある躍りではなく、座位で静かに荘厳な雰囲気を持ち踊ります。躍人の集合は朝6時。衣装や鹿子頭をお互いに着せ合いますが、8人全員着付けが終了するのは30分ほどかかります。鹿子頭についている飾りが綿入れのようでとても暑く、衣装も重ねるため踊り最中は汗が吹き出しているそうです。
なぜ3年ぶりか?は、体につける「ササラ」が和紙でできているので、少しでも濡れるとダメになってしまうためだからだそうです。忘れていましたけど、昨年一昨年は雨のお盆でしたね、、、
*行山流水戸辺鹿子踊りは“鹿”に扮して踊られる民俗芸能です。鹿をはじめ山の獣を常食としていた先人による、動物や自然への感謝や供養の心が、踊りによって表されたものと考えられます。過去人々がどれほど山の獣と密接に関わって生活してきたのかがうかがい知れるところです。また、旧伊達藩北部に伝わる「行山流鹿子躍」は、水戸辺村住人であった伊藤伴内持遠が元祖とされています。発祥の地である戸倉水戸辺地区では鹿子躍は途絶えていましたが、昭和五十七年、高台の土中から享保九年銘の躍供養碑が発見されたことから鹿子躍復活の機運が高まり、伴内直系の躍りを伝える一関市舞川の鹿子躍保存会の指導を受け、平成四年、菩提寺である慈眼寺で躍供養を奉納し、復活となりました。